旅路にて
ブログ再開の日に,ぴちょんくんに再会する件
そういえば,
今日久しぶりにぴちょんくんに会ったのだった。
母さんのとっても歩きにくい長靴を盗み履いて,
あの螺旋階段を飛ぶように駆け下りたら,
そこにきみがいたんだ。
よ,ひさしぶり,って。
なんで梅雨も明けるって頃に,こんなところで鉢合わせするんだよ,
っていったら,きみは,
きみこそ,ようやく外に出てきてくれたじゃないか,ってにっこり笑って,
体をぶっるとふるわせてくれた。
そう,それだよ,
ぶるっと,じゃなくて,ぶっると,なんだよ,きみは。
出てきたんだな,外へ。おんもへ。
またよろしくね,あつかましいけど。
そうなんだよ,もうあつくなっちゃったんだよ。
ふたりして笑って見上げた空には,
用意してたような七〇色の虹。
さ,出発だ。
ものはいいよう・・・確かにそうなのですが
しかししかし,きちんと相手に伝えるために,どうしたって厳しいいい方をしなければならないことはあるわけで。
最近身近なところで,そして社会のあちこちで,
いうべき人がきちんといってくれないがゆえに起こってしまう問題・怒ってしまう問題が
ありすぎるように思います。
誰がしわ寄せを食うことになるのか,もっと考えてもらいたいなあと切に思います。
もちろん自分自身つねに,
それは本当に相手の立場を考えたうえでそういういい方をしなければならないのか,十分考えた上でですが。
もっとうまいいい方がないものかと。
できれば関わった誰もが前向きにその批判を受け入れることができるいい方はないものかと。
その後みんながうなずいて,笑顔になれるいいかたはないものかと。
最近身近なところで,そして社会のあちこちで,
いうべき人がきちんといってくれないがゆえに起こってしまう問題・怒ってしまう問題が
ありすぎるように思います。
誰がしわ寄せを食うことになるのか,もっと考えてもらいたいなあと切に思います。
もちろん自分自身つねに,
それは本当に相手の立場を考えたうえでそういういい方をしなければならないのか,十分考えた上でですが。
もっとうまいいい方がないものかと。
できれば関わった誰もが前向きにその批判を受け入れることができるいい方はないものかと。
その後みんながうなずいて,笑顔になれるいいかたはないものかと。